別に評論家でもないが 最近、ヤケにこの"ファン"となる名詞が気になり始めてしまった…別に現にファンとして自称して居る人たちに対して喧嘩を売っているつもりはないので悪しからず…。
主にファンっていうと"憧れ"なるものがスタートだったのだろうと思う…?
若い頃、僕もその一人であったので気持ちは伝わる… 今日はその段階からワンステップ上の段階である"熱烈なファン"の話である。それは魅了したため"追っかけ"なる的な類である…。 僕は好きなミュージシャンはいたがそこまでの心理状態にまで至らなかった…
何故にそこまでの気持ちに至るのか?僕には不思議でならなかった… きっとそんな人たちからすれば「ファンじゃない」と言われそうだが(笑)
そこで僕的に分析をしてみようと好奇心が芽生えた?…(笑)
ピンと来たのが "引きこもり"から来る現象なのでは?……。と至った。
オタク>ジャニタク>追っかけ…と 追っかけと叙述の対象を拡大し、自己愛の病理として芸能人ファンに至るので
はないか? と思った次第です…。
追っかけのファンの心理。ここからは某 心理学者の推理が入ります…。
すなわち熱狂的な対象への執着は、他者を自己愛の対象とすること、すなわち理想化された対象を理想自我と同一視することで、そこに自己愛的リビドーを投入すろことであると説明している。
真の対象ではなく、自己愛の変形物だというのである…。
ここから親子関係と成長過程についての複雑な説明やラカンの症例エメの話が読くが、そこはスキップしておこう
芸能人の追っかけ心理の本質は、理想自我の適切な形成に失敗して、それでも自己愛を維持するために、自我理想の位置に「手の届かない対象」を置く自己対象転移だとする。
すなわち、手が届かない。現実に関係することが不可能な対象を選択する熱狂的ファンは、しばし生活をかなり犠牲にしつつ対象に執着する。そして「愛してる」は「愛されている」に、自身の欠如は誇大さに反転し、また逆転してj自己憎悪と自己処罰へと反復する。
最後に、SNSの発達により「現実に関係することが不可能な対象」という前提が仮想敵に崩れ始めていることを指摘する。 ブログにコメントし、ツイッターでリブを返し、運が良ければ反応が得られ。「会いに行けるアイドル」が必ずしも「手の届く対象」でないことを疑う人はいないが、それでもファン心理のパラノイアは軽症化していると僕は感じます…。
ただ…もっと手が届きそうな若手芸人の追っかけにこの問題を当てはめると、事態は厄介になる… 厄介な問題に素人が口を出すのは良くないので分析は避ける。 ただ、手が届きそうな度合いが強まれば強まるほど、事態は深刻化する可能性もあるとだけは言っておこう。
自分はどうなのよ?っていうことについては真の意味でオタクでも無く追っかけでもありませんので悪しからず 🙇♀️
美樹生
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2017.09.10 02:02
2017.09.10 01:55