平昌オリンピックが始まった。
開催されるに至って 各テレビ局が各選手の紹介に付随してエピソードを交えながら視聴者に披露した。中でもスキージャンプのレジェンドと呼ばれる葛西紀明選手には少々引いてしまった…。
7度のオリンピックを体験して来ているのだが
長野オリンピックだけが屈辱で今日まで至ったと話している。本人の出版した本の中にも当時のことを語った文面を披露していた。
4人の日の丸飛行隊が金メダルを賭けてジャンプしている姿を見て葛西選手は「堕ちろ!金メダルなんか取るな!」と祈ったと言う なんとも正直な心の内を手記してある…。
貧乏生活を苦慮しながらここまで這い上がってきたのには 不屈の負けず嫌いにあったと語っていた。…だけども、この葛西紀明さんの貪欲な負けず嫌いに 僕は素直に喜べない…。
アスリートであれば、コレが実態なのだろう…結局は孤独との戦いなのだろう。今日の友は明日の敵。と言うことなんだろうと思う
同じ日の丸の傘下でありながらでも競技になればライバルだと言うことなのだ。アスリートの宿命なんだろう。
敵はライバルだけに非ず。怪我や病気もその一つである…。
番組の中で言っていた言葉が残る…
「この世に神がいるとすれば、神は強くなるために力のある者には試練を与える。その試練を一つ一つ酷使して更に大きく強くなる。
酷使が出来なくなった時こそ終活の時だろう」…と語っていた。
この言葉はアスリートに限らず、我々一般人にも当てはまるところもあるのじゃないだろうか? 気を緩めると必ずしっぺ返しが待っている。また 気を張り詰めてばかりいると精神的なダメージも大きい。ストレスとの戦いは
生きている人全てに言える。
その時期もさり終活の時に、「これからどうして行こう?…」「生きていく価値はあるのだろうか?…」……
五里霧中の中で今日も見果てぬ夢を追う…
美樹生
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