僕はステージ4のCOPD患者です…
2011年の真夏に意識が飛び緊急搬送されました。人生で初の救命給棟室へ運ばれました。
ここまで至るには、開業院へ通院して3年の月日が流れていました…しかし一向に改善には至らず、毎日、悶々とした日々を過ごしていました…。
もちろん、煙草も絶煙してのことでしたが…時、既に遅しか?…COPD患者のレッテルを貼られていました…
その日も、暑い夏の昼下がりでした…
いつものように、病院で診察し人口酸素吸入器により30分間吸入した…すると、どうだろう? 嘘のように楽になってきた!まるで、あの苦しみが嘘だったかのように?…
しかし、真実は変わっていなかった!
後の記憶は飛び飛びで繋がらないフィルムのように…
折しも、皮肉なもので あの東日本大震災があった年である…
ドクターから告げられた言葉は「人工呼吸器を常備して下さい。日常の生活でも、限られた生活体系になります。現在のお仕事は継続は無理です…残酷な言葉かもしれませんが、余命寿命を延ばすことが大事になります」
目の前が真っ暗になる自分がいました…
現在 8年目に入りました…空元気で日々を過ごしいます…時折、何のために生きているのかと、酷く落ち込むこともあります…「このまま、死が来るのを待つ人生って辛い…」
でも、妻がいて子供たちがいる…身勝手な判断は出来ない!と自分に喝をいれてみる。自分一人の人生ではないと改めて感じた…。
美樹生
4コメント
2019.03.11 20:51
2019.03.11 20:07
2019.03.10 12:02