アルコール依存症…

今回のTOKIOメンバーの山口達也の不祥事、まんざら 人ごとじゃなく ききながせなかった
… 数年前に 同じアルコール依存症で交通事故で入院して 更に 依存症の再入院をした、実の弟がいた…実の弟とは 生まれてすぐに 叔父に当る下へと引き取られ 生き別れていた弟でした。
叔父には子が出来ず、母親の下へと相談に来て親同士で決めた 取り交わしであった…
三つ違いの弟は、僕と兄弟だとしったのは
親からの口添えではなく、隣人の他人からであった…ショックであった!前々から 少しおかしいなぁ…とは思っていたが、まさか こんな話になっているとは…。

それからであった、弟の義理親への反抗と生みの母親への恨み心が…。

高校は旭川でいたが、大学は札幌で進学した。器械体操を志していて、この時 旭川大学でアジア大会へ進出したのは初めてのことであった。たしか1970年頃ではないだろうか?…
そんな弟は、一般社会のモラルや常識には少々疎く、いつも夢を追う少年のような生き方をしていた…。僕は、その頃から 弟を取り巻く連中(親並びその兄弟)に不信感を抱いていた…。

とうとう、秘密がバレてしまう時が来た!
我が家へ遊びに来ていた時に隣人に「やっぱり似ているな〜父親にそっくりだわ(笑)」
その時、弟は隣人に 知ってることがあったら全部教えて!」と言ったそうだ…。その隣人も昨年亡くなってしまった…。

大学を出て、公務員になるが、お坊ちゃん育ちの弟には水が合わなかったようで、何もかも嫌な事だらけと自分を卑下し酒に溺れるようになった…僕の母親の所へ 酒を飲むと嫌がらせの電話してきて、一度 キツく怒鳴ったことがあった…。寂しかったのは分かるが…。

人生の転換である。至れりつくせりで育った人間が頭上から真っ逆さまに堕ちてしまう
奴と貧困で のたうちながら生きて掴んだ平穏な生活を送る者への転換である。

寂しかったんだと思う…でも 上手く行っている時は、そうは思わなかったはず。挙げ句の果てにアルコール依存症…そして最期は孤独死…この言葉を聞くと亡き弟を憶いだされてしまった。止めるにやめられない依存症…蟻地獄のように もがけばもがくほど深みにハマる…正に蟻地獄…。

依存症…それは心のオーバーレブなんだろうか?…
美樹生

美樹生の窓  【四方山話】日常生活においいての気つ”き

【日常のblog】 北海道の片田舎に住むシニアの独り言を語って居ます。幼少の頃から引っ込み思案で中々前に出ないで いつのまにか大人…COPDと言う厄介な持病を抱え職をリタイア…しかし、立ち位置が変わって見えてきたものもある 果たしてこの先の人生をどう読む…あなたと一緒に考えたい☝️

5コメント

  • 1000 / 1000

  • Mr.Ojisan

    2018.04.28 21:54

    @美樹生私は逆に今の自分を形成してくれたNICEな思い出(経験)と思っています。両親不在な分、周りの方々からも深い愛情を享受していましたし、自分のバネにもなったかと...是非是非プラス思考で行きましょう(๑•̀ㅂ•́)و✧
  • 美樹生

    2018.04.28 21:24

    深いコメント ありがとございます。 皆んな 押し殺してある過去を抱いて生きているのだなぁ…とつくづく感じました…そんな過去も いつかは消化する時は来るでしょう。しかし、そういう出来事は教訓として 嫌な思い出でしょうが 忘れちゃならない ある意味 親からの教訓なのかも知れません…お互い 辛い過去を引きずって来ていたんですね…コメント感謝します 🙏
  • Mr.Ojisan

    2018.04.28 21:12

    @美樹生実は一旦長々とコメントを書いたのですが無粋かと一行に縮めてしまいました。でもせっかくなので...→→→私は4才(妹:1才)のとき、父の他界で母・妹と別々な生活になりました。母・妹は妹が小学生(私が4年生)になる時に札幌へ...。不思議と母や一緒に暮らす祖母に恨みなど微塵も感じずに済みました。それは母・祖母の愛情を感じてのことだったかなと今では思えます。別離の原因となった父の死因(自死)を知ったのは高校生の時で、母方の親戚との酒の席(高校生ながら)でした。驚きはしたものの『そうか、病死じゃなかったのか』と思った程度です。ちょっと想いを間違えばどうなってたか判りませんね。受けた愛情への感謝と恩返しする気持ち、いろんなギャップの受け入れなどなどその時々の想いが人生の転機になるのだとこのPOSTで実感しました。・・・長々とすいません、貴POSTに感動した結果です<(_ _)>