今日退院となる…旭川医大は3度目だ…
初回は2011年の7月の末であった…
あの頃は春先から大きな震災の見舞われ日本中がパニックに陥った!
東日本大震災である…あの頃はしばらく、の間体調も優れなかった…その中において、新規導入された野菜部門である。おりしも、認知症で施設に預けている母の容態も気になっ… 余命宣告をうけられていて、ドクターとの説明と確認してもらうアポをとっている…
そんな期日も押し迫って来た最中に
僕の容態が悪化して、遂には、通院している待合室で倒れ崩れてしまっようです…。
結局、前段未聞の病院から救命急塔に運ばれてしまうとは…
入院して5日目、母の元をいけなかたタメニ、姉夫婦に委託して行っていただいたが…
何故か、その日を待っていたかのよう息をひきとって しまったのでした…
…何となく…悲しむは一瞬で、ポッカリ心に穴が空いた…そんな感じだ…
15年間の疲れが のしかかってきたかのように…
しばらく、して「よし!やっと再スタート出来る!」と気合いを入れてみた。
よく歳、張り切っていた矢先、体は嘘をついていなかった!…
また2度目の入院だ!…今度は待ったナシの在宅酸素の必要な重症者に勲理財てしまった!!
それからと言うものもは、閉鎖された暗い闇の中で生きている生活だ…
リハビリをしてみたり歩行、呼吸法、ストレッチ…いつ迄続けなきゃいけない?…何のために?…生きるため?…死ぬため?…
残りの20余念が小さくていい温かく過ごしたい……
by美樹生
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2020.12.28 23:04
2020.12.28 11:33
2020.12.27 23:45