美樹生 第ニ章

おはようございます🙇
先日、ザックリとした僕のレポートを出してみましたが、深く掘り下げれば未だ未だこんな簡単な経緯じゃないのは皆さんもお分かりの事と思います。

幼少期の過程、から思春期、青年になるまでの過程には僕なりのドラマがありました。
そこで今日は幼少期編を述べてみたいと思います。しかし、何せ可なりの時間が費やし僕の記憶の飛んでいる部分は可なりあるのじゃないかと…⁇…誰かに尋ねるにしても天蓋孤独の身、生まれつき兄弟無しの孤独者です。
あっ!訳あって生まれて直ぐ僕の叔父にあたる夫婦の元へ渡った弟がいるのを忘れて居ました。この話はまた別の機会に話して行こうと思います。

さて、僕の幼少期なのですが、なぜか我が家には多勢の労働者的な人たちがいました。それが後に我が家の奉公人と分かったのでした
いつも、チヤホヤされて育った僕は、これが普通の生活と思って来ていた。ある日学校へ行く前に集団生活の過程の中での学習として
小学校の入学1年前に保育園に入るのですが…
3日で「もう行かない!」の我儘が始まったのでした。母親や父親には叱られ断念して又行ってみようか…と思い直そうとした矢先に祖母の一言で、僕の意思が通った。祖母は「そんなに嫌なら行かなくていい。私が教育する」と行ったのでした。

その当時祖母と言ってもまだ40代だったような気がする…。祖母の代で3代目なのだから僕で5代目の直系の本家と言うことになる。四国香川県からの北海道の開拓に長男、即ち2代目が北海道開拓で切り開いたと言う訳だ。四国香川県の代から数えたら…⁇🙄 分かりません(笑)何せ今年で我が家は150年を迎えた。
祖母の家での教育とやらは、さすが明治生まれの人間らしく男を立てる生き方で女子どもは御主人にあたる父方はそれはそれは丁重に祀られ ”男尊女卑”の世界観であった。
唯一、記憶していて驚いたのは、水を飲みたく流しに立つと「男が流しに立つもんじゃありません!」と叱られた。意味分からず呆然としていると「茶の間に行って居なさい」と言い、水の入ったコップと茶菓子を添えて持って来た。そんな優しいと言うか厳粛な一面もあり教育には熱心な祖母であった。しかし差別扱いする一面も垣間見えた。プライドが高いと言うのか…⁇🙄

とうとう小学校へ上がる時がきた。ズット祖母との生活をして来て、友達と遊んだという経験があまりなく、人見知りな性格を持ってしまったようだ…。我儘な性格とでも言うのか?…。案の定、保育園の時と同じだ…。
多勢の人を見ると拒否反応をし嘔吐することもあった。そんな繰り返しの中で小学校の過程を何とか過ごした…。中学へ上がると隣町の小学校の子と一緒になる。そこで唯一1人の友達が出来た。彼は学力優秀で大学はハーバードで最終の過程での職務は東大教授と聞いている。彼も変わり者で一人っ子。境遇は同じで人付き合いは下手(笑)そんな中で2人に共通の好きな物が音楽であった。その頃はグループサウンズの大ブーム。しかし、僕らが興味を持っていた音楽は、反戦歌とかフォークソング。bobディランなどである。
後に大ブームになったフォークソング。吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室ひとし
などのfourLifeRecordの会社まで立ち上げた話は今聞いても斬新であり凄いと思う。時代の先端を行くビッグ4が結集すること自体が凄い!
おっと(笑)また余談になってきた。次回は音楽に魅せられた美樹生の姿を紹介致します。

それでは、次回までヨロシク(^_-)


美樹生の窓

【日常のblog】 北海道の片田舎に住むシニアの独り言を語って居ます。幼少の頃から引っ込み思案で中々前に出ないで いつのまにか大人…COPDと言う厄介な持病を抱え農業をリタイア…しかし、立ち位置が変わって見えてきたものもある 果たしてこの先の人生をどう読む…あなたと一緒に考えたい☝️

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