第4章

話が前後してしまうが、父母の死因は自殺ではなかった…若者の暴走運転の巻き添えになったらしい…。悔しい思いが込み上げてくる…。しかし、時間は戻らない。そう、この事柄がなければ、まだ東京に居ただろうし妙子も見届けることが出来たのに…多分父母の思いが強かったのだろう。道標…「お前の道はそこじゃないョ」そう伝えたかったのかも知れない…。音楽性の才能と言うより芸能界での生き方には不向きなんだと妙子も言っていた…。やっぱり…分かるのかなぁ…距離を置いた第三者から見ると…。好きな事で生きるのはベストとは言い切れないと言う事なんだ…。向き不向きがあるとうことなんだ…。

大学を出た僕は借金をしてでも膨大な土地を求めた。隣町にまでにも及びよくトラブルを起こしてしまった…。そのトラブルを起こしてまで求めた土地も今では空港に買収されてしまったが、膨大な金が舞い込んだ。更に土地は代替え地まで付与された。1970年代後半のことである。その頃100名の従業人を抱え独立経営をまだ周りで行ってもいない時代だ。
1990年代に入り、米価が急上昇!…「怪しい…」と睨み様子を見る…気象予報士の推測では「近年中に日本列島を襲う冷夏の年になる」と発表と言うより「かも知れない」の予測で誰も信じて居なかった…。

僕は90年代半ば頃から備蓄を始めた。すると見事的中!1998年の大冷夏の年になった。
案の定全国を襲った米騒動である。当時60Kgの米で最低3万円〜最高6万円にまで成った。
政府もここまで予測しておらず備蓄米もあっという間に消えてしまった。実は民間の米業者が押さえていたと言う代物で後日高値で小出しに売り出していたと言う話だ。
話が変わるが、今年もその頃の気象と極く似で不安が過る…米所の宮城県が被害が可なりのようだ…。北海道も影響は有ったようだが…。まだ分からず…?

こうして美樹生のビッグファム計画は着々と進めていった…。

次回は、その後として次世代の話をします

美樹生

美樹生の窓  【四方山話】日常生活においいての気つ”き

【日常のblog】 北海道の片田舎に住むシニアの独り言を語って居ます。幼少の頃から引っ込み思案で中々前に出ないで いつのまにか大人…COPDと言う厄介な持病を抱え職をリタイア…しかし、立ち位置が変わって見えてきたものもある 果たしてこの先の人生をどう読む…あなたと一緒に考えたい☝️

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