第7章 最終章

とうとうギブアップしたのが稲の収穫前であった…。薄れて行く気の中で「何とかしなければ!」と頭の中は思考回路だけはしっかり保っていた。
するとちょうどその時、昨年酪農業を営んでいた友人から電話が別件でかかって来た。彼は牛舎が火災に遭われ離農に追いやられアルバイトで生計を立てている状況であった。
当然、僕がこの様な状況になっているなど知る由もなかった…「もしもし、今年も飯米を分けてくれないかい?」と訪ねてきた…僕は「いいよ、だけどね…稲刈りできない状況になっているんだよね〜 ちょっと身体が動けない事態になって再入院してしまってさぁ〜…
時間が取れれば稲刈りのバイト頼めるかな?」彼は驚きを隠せなかったのか沈黙が続いた…すると彼は「稲刈りするにしても機会の操作が分からない。教えてくれるのなら何とか出来る」との事。「それなら家の従業員が教えてくれるからデカイ顔して ”教えろ”と言えばいいよ」と言うと「デカイ顔は生まれつき(笑)了解です。今から取り掛かるから、安心してとも言えないけどやってみるよ」と冗談を交えながら話は成立した。
その途端、僕は気を失った様だ。

2回目の入院…長い長い生活が始まった…。
個室から共同6人部屋へ移されたのは、それから3週間目辺りだったろうか…。環境が変わると眠れない日が続き、よく安眠剤を貰い就寝していたが頭はハッキリとして身体だけ思う様に動かない…それを知らない僕は夜中にトイレに向かおうと立った瞬間に身体が崩れ床にバッタリと倒れ動けなくなっていた…。
同部屋の誰かがコールを送ってくれたらしく
看護士がやって来た。優しく怒られた(汗)…

この6人部屋へ入る前に主治医から、まるで死刑の宣告を受けられた様なダメージの言葉で
「○○さん、もうこの職から離れなければなりません。オフィスワークに限る職じゃないと無理です」と無情な言葉を突きつけてきた
…目の前が暗くなった…57歳の僕にはまだしなきゃならないことが残っているのな…。
無情にもロウソクの灯りが消えた…。

6人部屋の人たちが、やがて一人、二人目と退院していく…その時既に1ヶ月が経とうとしていた…。やがて僕の隣のベッドに心臓の弁の不全にカテーテル検査を受けに入って来た寺の若い住職が入って来た。やがてその住職に手術の前日の夜、僕が床に物を落とし拾っていると…「あの〜起きてますか?」と声をかけて来た…「あっ!はい…すいませんね音を立てちゃって…」「いえいえ、実は明日手術なんで少し緊張なのか眠れません。よろしかったら少しいいですか?」と話しかけて来た。「良いですが、就寝時間中で他の方にも迷惑がかからない程度なら…」 一度、あの一件が有ってから少し神経質になっているのかな(笑)

たわいも無い話に相槌をうって30分も付き合わされ、彼はいつの間にか寝息に変わっていた…眠れなくなったのは僕の方であった(泣)

それから2週間目に主治医が夕方近くにやって来て「動脈の採血をしたいのですが?」と言ってきた…内心、「退院か⁉️」と心待ちに期待していたが違った…。「この検査結果で退院日を決めましょう」待ってましたと内心小躍りしていた。あとは陽性と出るのを祈るのみ🙏

1ヶ月以上も居ると看護士さんとも冗談を交わす程親近感が湧く。そして天使のような優しさには職業柄とは言え、下手なホステスより
ピュアで美しく見えたりしてしまう…妻よすまぬ…。

やがて待望のその日が遂にやって来た。🙌
我が家に帰ったのは深い秋の頃…。
2011年 2012年と続いた僕の闘病生活…
ふと、入院中に隣にいた寺の住職を思い出した…。聞き流す様に聞いていた言葉が断片的に残っていた…。「人は生きるために生きるのではなく死ぬためにこの世に生まれたのです。率直に聞くとネガテイブな発想に聞けへますが美化しない現実的な話です。蝉は1週間しか生きれず、その間次の世代の子孫を残します。それが蝉の生涯の仕事だからです。人は感性が豊富に有ります。豊富にあるが故に悩み苦しみます。それも一生です。命有るまでに何かをし残して行くのです。決して廃になり消えていく人は誰もいません」…と フト思い出した…。

我が人生命絶えるまで人生は続く

美樹生

美樹生の窓

【日常のblog】 北海道の片田舎に住むシニアの独り言を語って居ます。幼少の頃から引っ込み思案で中々前に出ないで いつのまにか大人…COPDと言う厄介な持病を抱え農業をリタイア…しかし、立ち位置が変わって見えてきたものもある 果たしてこの先の人生をどう読む…あなたと一緒に考えたい☝️

2コメント

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  • 美樹生

    2017.08.27 00:45

    🙏 ありがとうございます😊
  • Mr.Ojisan

    2017.08.27 00:22

    染みました!