…僕の幼少期の頃はけして明るく飛び回っている少年ではなかった…気弱で小心者で 威喝でもされようなら オシッコを漏らしてしまうような少年であった…生まれついての性格ではなかったのだが…ある日を期に心が折れてしまった…
あれは 僕が小学校の四年生…つまり10歳の頃の出来事が期に変わってしまった…。
いつものように学校から帰って来ると いつも祖母がいて出迎えてくれていたが…様子がおかしい…居ない!そして妙な静けさが立ち込めていた… 。
すると そこへ父の弟である叔父が来て「父さん 事故で入院した!大人しく留守番をして居なさい」とだけ告げ去っていった…。
あまりにも突然の話に 僕には直ぐには理解しがたかかった…。何気ない普段の生活が突然の出来事で一変してしまう…これが運命なのか?…子ども心にも抱いた…。
父は手術を受けた。脊髄不随による全身麻痺である。これにて父の闘病生活の9年間が始まった…。
父が倒れれば家の中の様子も一変してしまった… 何事も無く平穏無事に過ごして来た頃とは大分事情が変わった… 家の中もギスギスしたものへと変わり豊かから欠落していくように…。
学校へ行っても、何故か「他の家とは違うんだ…」と いつも卑下した自分がいた…。
態度も 自ずと 下向きに歩くようになり 友だちとも疎遠に近いものになっていた…。
当然 イジメもあった…。
そんな幼少期から中学、高校と進んだ僕には
いつしか 忍耐力が養われてしまったようだ。
しかし、忍耐力と呼べるようなポジティブ発想のような代物では無い。どちらかと言えばネガティブな発想に近いだろうと思う。
次のステップが無かったのだ…。
「蛙の子は蛙」で貧乏人は貧乏人と決めつけていた。一円玉が十円になるには十倍の努力と忍耐が必要だ。 スタートが一円から始まれば十円からスタートした奴には十倍遅れをとっている。1000分の1 いや 10000分の1のチャンスがあれば挑戦するだろうか?…夢を語れば夢を見る…現実的には無理である…。
僕が選んだのはネガティブ発想の力だった…
大きな夢は掴めないにしろ、金欠に喘ぎながらも 家族が手を取り支え合って生きて行く姿こそ 僕の生きる道なんだと…
当然、キラキラした道では無いだろう…しかし幸せの形は人其々違う…でも その幸せの形は死ぬ間際まで分からない…きっと 割り切った納得なのかもしれない。そう 言えば寂しく聞こえる人もいるでしょうが 案外 そんなものかもしれませんね…
偉い人達が 挙って 人生について語っていらっしゃいますが 幸せとは感じるもの に落ち着きそうですね (^_-)
美樹生
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2017.10.01 09:04
2017.10.01 09:02