先日 先祖の一年間の供養を行いました…明治32年に蝦夷(北海道)に渡り 長男が開拓
にあたり、住居と農地を広げたと聞きます。即ち 2代目が開拓に勤しんだと言うことで、その後 親を呼んだと言うことになります。
しかし 2代目の子に当る3代目が 欲に目が昏み 鉱山に手を出してしまい 破綻したと聞きます…
痛手は可なり大きく 4代目にまで及ぶほどの負債が及び 4代目 即ち 僕の親に迄 及んだのでした。
2代目から3代目に及ぶまでは 羽振り良く 周りからの信頼も厚く評判も良かったと言うらしい… 。
頂点に立ったとたん急面直下
一気に貧乏のどん底を味わい 人のためによかれと行った事業も ただの お人好しの末路となる結果になった訳であります…。
父親もまた親の血を引くDNA…お人好しは受け継いだようで…自分の立場より人の苦しみを汲んでしまう 愚かな程のお人好し…
多分 母親も大分泣かされて来たのではないのかと思
う…。
しかし 僕には厳しかった!怖いほど父親の存在を意識した事がなかった…。
そんな父親も亡くなって 40年が過ぎる…
厳格な父親も僕が中学生になった頃には もう寝たきりであった…母親の苦労が身に染みて分かる…。
そんな こんなんで 今日まで僕は生きて来た訳だが、フト思えば 人間の一生なんて蝉の一生と変わらないのじゃないのだろうか?…
ただ短いか長いかだけであって…この世に生きてる人たちが 勝手に哀れんでいるのかも知れない…
本当の意味は謎である…
それじゃ 「生まれてこない方が幸せか?」と言う問いにも返答もしかねる…それは体験していないから…そして生還したことがないから…。
お参りが終わった後 住職から こんな話を聞いた 「人には 魂と呼ぶ生体がある。乖離…
身体から心が離れると言う意味なのだが 亡くなって 始めて魂と呼ぶものが 我々の言う事の魂なのです… と聞いた。
「それが 突然亡くなった場合などに 浮遊してしまうと言うのです…」
幾ら 成仏する様に供養しても 本人が理解しないと成仏出来ないと言うのです…。
そんな話を聞いて こんな事を考えてしまった…今と違う過去の犯罪で冤罪で死刑になった人は可なり居るのじゃないのだろうか?…
その他にも突然の交通事故や他殺者なども…70年越えの戦争で亡くなった人たち…本当にお国の為に死んで名誉を感じて幸せを亡くなったのだろうか...
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