今日は見事に天気予報が外れ、曇りの日から一変して 快晴とまではいかないが、よく晴れた日になった。こう言う外れ方は嬉しいものだ。久方ぶりに外へ出て見ると 空は雲は途切れ途切れと散らばってはいるが太陽の方が勝っていると言う感じだ。一気に暑さも増し 少々衰退気味…微妙な気圧と温度差にシビアに感じてしまう自分が情けない…許容範囲の狭さには たまに苛立ちを覚える!
家に入り網戸越しに座りテーブルの上のタブレットを打ち始める…
少し 幼少の頃の僕の一幕を語って見ようと 過去の引き出しを開け探り出して見た…。
僕の人生を一変させたのは あれは 小学生四年生の時であった…。
学校から帰ると必ず居る祖母が居ない…何故か不気味なほど静かな間が過ぎていった…。
やがて、その沈黙を破る時が来た。叔父がやって来た?…叔父は「父さん、事故に遭い病院へ担ぎ込まれたから、大人しく留守番していなさい」…不意打ちを突かれたかのようなな、言葉も出なかった…。
時間が過ぎていった…「どうすればいいのだろう?…」不安が 段々と膨らむ…。
やっと一報が入った!親父は脊髄裂傷により全身麻痺になってしまった!
1ヶ月が経ち、手術をすることになる…しかし、若手の医者だったらしく手術は成功とまではいかなかったようだ…。一時は多少なり自分の事を出来るまで回復していたのだが2度目の農耕馬の荷車から叩き落とされ 全身麻痺状態になった…その時、僕は中学生になっていた…働けない親父と母親一人と半人前以下の僕とで 高校生まで続いた。
友達など呼べるようなボロ屋で過ごす事、昭和46年まで続いた。不幸と言うものは続き出すと度重なるように連作する。
次は 火災に遭い 全焼である…。寝たきりの親父を担ぎ出し祖母を連れて冬の寒空の下で立ち尽くしていた僕に 駆け寄って来たのは町内会常会に出ていた母であり 仏壇を担ぎ出してくれた叔父がいた…。
翌年、古家の物件を探して 解体し火災後の整理をして建て上げた。この家は今でも住んでいる。当然 何度となくリフォームを繰り返しながらである…。やがて、新居に一年足らずで親父は逝ってしまった…その5年後祖母も逝きました。
借金を抱えながら少ない水田面積から入る収入はしれている… すると世間の目は羊から狼の目に変貌していった! 今で言うパワハラ モラハラの応酬であった…しかし 母は強かった! この母親がいたから僕は今こうして居られると深く感謝する日々なのです。
親父の最初の事故は農事の選挙の当選祝賀会の酒のせいで帰宅の道中で自転車ごと道脇の側溝に落ち込んだのが原因…恥ずかしい災難である…家を守る母は姑に使い 小姑にも弄られながら…大変だった筈…しかし 愚痴は一度足りとも聞いたことがなかった。
それが当たり前の時代だからと言えば それで済むのかもしれない…けれど 生まれた時期なのか運命なのか 余りにも悲しい…。
その時代 時代において 付き纏う運命が あると言うのなら 選択肢の無い道を歩いているようなものだ。せめて幸せになる運命は誰にでもあると 運命よ 語っておくれ…。
戦火の時代に生まれ育って厳しい時代を乗り越えたかと思えば 嫁いだ先にも幸せなど感じる日があったのだろうか?…と涙を飲む…。
せめて、僕が居た事だけでも幸せだったと思って欲しい…。
愛していました…お母さん
美樹生
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2018.06.30 11:23
2018.06.30 11:15